高津宮
概要
【創建】 866年、清和天皇の勅命により社殿を築いて仁徳天皇を祀った
【御祭神】 主祭神 仁徳天皇 左座 神功皇后(仁徳天皇の祖母)、応神天皇(仁徳天皇の父)、仲哀天皇(仁徳天皇の祖父) 右座 履中天皇(仁德天皇の長子)、葦姫皇后(仁徳天皇の皇后)
仁徳天皇の血縁一族で固められた神社ですね、そして何故か仲姫命(仁徳天皇の母)だけがお祀りされてませんね
仁徳天皇の有名な話として日本書紀や古事記にも記されている、高殿から見渡すと民の家から煙が出ていないのを見て庶民は貧困状態にあると察して、3年間税金を免除し、更に数年免除したとの記述があります
そんな庶民思いの大王だったから、仁や徳など人間性に優れた人に称される文字が使われているんでしょうね
実在したのかは確定していませんが、日本一の規模の仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)が人間性がすばらしく民から慕われていたので、この規模なら仁徳天皇に違いないって経緯があってもおかしくは無いですね
その民の困窮を悟った高殿の地と推測される場所に、清和天皇の時代に社殿がお祀りされましたが豊臣秀吉が大阪城の築城に際し比売古曽社の現在地に御遷座(神社の御神体が移ること)になって今日に至ってます(高津神社公式より抜粋)
ということは仁徳時代の中心地や高殿は大阪城の場所にあったようで、大阪城の場所自体も仁徳天皇時代と豊臣秀吉時代に二度歴史の表舞台の地になってるって、すごいパワースポットかもしれませんね
鳥居

少し右側が上り坂になっていて、ちょっと斜めな場所に立ってます
石柱

仁風敷宇宙 徳化洽乾坤 と書かれてます
仁の字の意味である思いやりや慈しみの心は風に乗って世の中へ広がっていく
徳の字の人を思いやる配慮や行為は天地全てに届く
ってことで仁徳天皇と呼ばれるようになりました
別の見方をすると祖母神功皇后は三韓征伐で領土を広げ、父応神天皇は渡来人を重用して生活水水準や経済力を高め、仁徳天皇の時代は国としての基盤が固まって平和な時代だったのを強調したかったのかもしれませんね
橋(堀の橋?)

境内に川や橋がある古来からある神社の形式ですね、川は伊勢神宮の五十鈴川が有名で身を清める為で橋は住吉大社の反り橋が有名で聖域との境界とされてますね
階段を登ります、横の道と比べると本殿が高台なのが分かります

手水舎

拝殿

狛犬さん

なんとなく微笑んでるのがかわいい
本殿

拝殿と繋がってタイプだと思います
高倉稲荷神社

狐さんがいっぱいいらっしゃいます

変わった様式になっていて、建物の中で手前に畳があってお祀りされてますね、住吉大社も摂社にも畳がひかれていたので神功皇后関連での様式なのかな?


後ろには、お見かけすることの少ない神様がお祀りされてました

安井稲荷神社

大阪で安井の名前で思いつく方がお一人おられまして、もしかしてと思い帰ってから調べたら【道頓堀】を私財と投じて作ってくれた【安井道頓】さんの従兄弟の安井久兵衛さんの自宅にあったお稲荷さんでした
安産の神様だそうです、お稲荷さんなのになぜ安産?
神輿庫

この上に龍と書かれていたので見上げると、木彫り?の龍らしきが見えました、270年ほど前からアメリカ軍による空襲の戦火をまぬがれているのは龍神様の神通力と言われているようです

お神輿の保管庫だと思うけど入口まで数段の階段があるけど、どうやって出し入れしているのかな?
絵馬殿

絵馬堂から外の眺めは、横の道とはかなりの高低差がありました、上町台地と呼ばれている理由が分かりますね、そして古墳時代はこの辺りまで海で難波津と言わた港だったようで、高津の意味は高い場所や港のなので、この周辺に政府の拠点があったのが想像出来ますね

社務所

御朱印

アクセス
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