真田山 心眼寺
人気の戦国武将『真田幸村』ゆかりのお寺、大河ドラマのタイトルにもなった『真田丸』があったとされる場所に建ってます
創建
文禄年間(1592年 – 1596年)、大阪冬の陣後に破壊されるが元和8年(1622年)4月に再建
宗派
浄土宗
御本尊
阿弥陀如来
駐車場
北に50m程の場所に参拝者専用がありました
少し石段を上った先に山門

真田幸村出丸城跡の石碑と説明文もあります

山門には真田家の家紋『六文銭』が刻まれてます

境内はそんなに広くなく、すぐ目のつく所に真田信繁(幸村)のお墓が見えます
六文銭の赤色がさらに目に付きやすいです
従五位下 真田左衛門佐豊臣信繁之墓 と長い名前が刻まれてます

よく見ると『豊臣』の文字も刻まれてます、歴史の詳しくなので何故なんや?って思ったら説明文に書いてありました

豊臣秀長や秀次らの親族のほか、毛利輝元や徳川秀忠(おそらく家康も)も称したとあるので、豊臣家に謁見の際などにはお墓の名前だったのかもしれませんね
本堂、扉は閉まってました

手水舎は封鎖されてました

地蔵堂

立派なお地蔵さんが祀られてました
何故か稲荷神社

お社だけがあり、狛犬さん的なきつねさんもなく
中の覗いて小さい狐さんがいらっしゃったので、稲荷神社だと分かりました
最近になってどこかから移築された感じですね
事務所が不在だったので御朱印はなし
大河ドラマ『真田丸』が放映された頃には、多数の真田幸村ファンが訪れてたんでしょうね
そんなに歴史に詳しい訳ではありませんが、真田幸村は好きな戦国武将です
和歌山の九度山に配流されてたのを、拾って信頼してくれた君主の為に生涯義を貫き、圧倒的不利な状況だった、大阪冬の陣を引き分けに持ち込んだ知力、最後は家康とあと一歩まで追い込んだ武力と実行力
もし家康にとどめを刺す事があったなら歴史が変わっていた、日本史を左右した偉人であり
不利な状況でも義に生き、逆境を跳ね返す侍魂が好きな武将です
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