2003年8月28日
昨夜、ナイトバザールで会った日本人から聞いた話によるとルアンパバンと首都ビンエンチャン間は山道のクネクネ道をバスで11時間かかってしんどかったっし、ラオス人は乗り物酔いで吐いて汚物がアップダウンの度に移動すると聞いたので旅行代理店でビエンチャンまで8時間で行けるチャーターミニバンでに行くことにした(17$)
この時ラオスで見たバックパッカーは全員大学生でその方々は、公営バスで朝早くに起きて行くと言っていたが公共バスなら5万K(キップ)約600円程で行けるそうだが
本格バックパッカーじゃないので金に物を言わせて楽な方を選んだ。
裏通りを歩いていると日本のトラックが停まっている、それ自体はそれほど珍しくはないがトラックには村山運輸の文字が。。。なんでこんな所に?もしかして盗難車?もしくは日本語が入ってる方がええんやろか?


まだ上がっていないプーシーの丘に登る
かなりの数の石段を上がって行くと途中で料金所があり8千Kを払ってさらに上に上がって行かなければならないがプーシーの丘に上がってからの眺めは爽快

しばらく世界遺産ルアンパバンの街全体を見渡す、町は小さく周りはメコン川と山に囲まれていた
とても昔の首都とは思えない感じ
丘の上にはお寺と砲台があった、おそらくベトナム戦争の時に使用していたのだろう
なんか複雑な感じがした、今でこそとてものどかなルアンパバーンも戦争していたんやな。。。
上にはラオス人のおじさんが一人いて一見悪役顔なんでチョット警戒しながら間合いと取って景色を見ていると、ラオス人の親子が上がって来て写真を撮る時におじさんが声をかけて写真を撮っていたのでどうやら係の人のようだ、なんやいらん心配してアホみたいやん
ラオス人は写真を撮る時になんてかけ声をかけるのか聞いていたら単に「サーム、ソン、ヌン(3,2,1)」って言っていた。数字だけは完全に聞き取れるやんと自信を持った
下に降りてプーシーの下にある公園で一服してると隣のベンチに座ったラオス人は、英語の話せた
トレッキングの案内をしていて週に2回山岳民族の村を回っているらしい、初めは参加しないかと勧誘かと思ったがそうではなかった。最後に日本に行きたいと言っていた
彼らが行きたいと望んでる日本ってどういうイメージなんやろな?って思った
ここルアンパバーンも居心地がいいのでお気に入りになった
プーシーの横にありメインストリートから少し奥まった所に屋根付きのモン族のマーケット20軒ほどがある、何気なく覗いてみると昨日の昼にラーメンをテイクアウトしていた女の子が居た
向こうも覚えてくれていて、昨日そこの食堂にいた子やな?と身振りで聞くとうなずいた
ここで店番をしているのはまだ11歳の女の子で一人で観光客相手に店番をしている
周りで店番している女の子4人も集まってきて、小学校の先生の様になった

この子達は、学校で習っているのか、仕事の上で覚えたのかは分からないが簡単な英語はしゃべれる
こっちは地球の歩き方に載っているラオス語しか分からないが、タイ語とラオス語は兄弟みたいな感じで数字や基本的な動詞が同じなのでタイ語も使えるのでなんとか会話はできる
子供だけなので両親は?って聞いてみると家にいると言っていた。家で商品を作っているのかな?
女の子達が、最初に聞いてきた事は、年齢と結婚してるかだった
結婚してるか?って聞いてきた時はみんな顔を見合わせてニヤニヤしながら聞いてきた
女の子が結婚に興味津々なのは、全世界共通ですね
日本語を教えてラオ語を教えてもらうってよりも学校の先生にような感じで日本語で数字の読み方や色なんかを教えていたらあっと言う間に1時間ほど経っていた
昼になったので昨日の所で食事するの?って聞いてくる
じゃあ一緒に食べよって事になってフー(ラオスの米のラーメン)を子供達と一緒にテイクアウトする

フーを持って帰る前にラオスでは、自分の好みに合わせてトウガラシ、砂糖、ナンプラー、液体のトウガラシ等を入れるのだが、カレー&唐辛子の食文化ラオスでも子供はあまり辛いのは苦手らしく、ビン入り液体トウガラシを入れすぎて「オー」と叫んでいた、ペット?(辛い)って聞くとうなずくそして少しだけ入れるようにと身振り手振りで教えてくれた
店の横にゴザをひいてお食事タイムとなる
すると、どこからかカオ(もち米)とマクテル(瓜)を持ってきてくれてた
マクテルは20㎝ほどの大きさで縦に半分に切りスプーンでこそいで食べる、子供達から食べ方を教わる
その時「アローイ(おいしい)?」って聞いてくる、ラオ語では「セープ」だがタイ語も使うみたいやし「ナーラック」(かわいい)も通じる
子供達は一つのラーメンを5人で分けて食べている、ラオスは仲間で分け合う文化なんやと改めて思う
きっと日本でも少し昔は、こんな感じやったんやろなぁと思う
一人の子供の家には電話があって電話番号を教える、しかし国際電話が分かって無いだろうし、もしかけれても馬鹿高い金額を請求される事も。。。それを説明する語学力も無い。。。
次回来る時はもう少しラオ語を勉強してこよう、ラオスはまだ標準語の概念が無くビエンチャンの方言が標準語になりつつある状態なので、おそらくその為かどうかは不明だが日本ではラオス語の辞書を見つけられなかった
日本から持っていった飴を子供にあげて食べ終わるとビニールの袋をきれいに開いて草笛の様に音を出して遊んでいた。ラオスの子供はなんでもおもちゃにする
最年長ガンスーちゃんが、ナイトバザールの時に来てねって言ってくる、お昼もごちそうになった事やし、何か買ってやらんとあかんなと思っていたので7時半にここにくるからっと言うと何故か7時までに来てって言ってきたので6時45分頃に行くと事を約束してひとまず分かれた
ほんまに子供らしい可愛い子供達や
結局11時から3時過ぎまでここに居た事になる
ネットカフェ(1万8千K/h)に行ったり、船で一緒だったオーストラリア人とミックスジュース(3千K)約37円を飲んだりしていざナイトバザールへ

子供達は、まとまって店を出していた。靴を脱いで店の中に入り込む
しばらくして同じ商品を5個買うことになったが、お昼ご飯もごちそうになったので値切らず言い値で購入
するとすぐに食事の準備にとりかかって一緒に食べよってなったので遠慮せずに戴く、この頃親も集まってきたが親同士、子供同士分かれて食事をする。今回の旅は、ほんまにゴチになってるなぁ
昼はいなかったパーダウちゃん4歳が、かわいい(一番右)

横にちょこんと座って日本語を教えってと言って時計やシャツ、等身につけている物の名前を聞いてくる
時計と言うと「トケイ」と復唱する、この子はなかなか耳が良くて同じように発音してくる
教えてもしばらくすると又聞いてくる、結局3,4回同じ事を繰り返した
そして食事が終わるとその内の年長者二人が自分で作った財布をくれた。見た目はけっしてきれいでは無いが、この子達の思い出でと共に宝物だ

子供達は、歌が好きだ
「I’m singer」と言って歌ってくれた。モン族とラオ族の歌を歌ってくれる
「You singer?」と言って歌ってくれと言ってくるので簡単な童謡を歌うと覚えてみんなで歌ってくれた
ラオスでも「ABCDEFG・・・」とアルファベットの歌を歌っていた。もしかして世界標準の歌なのかも?
ほんまに学校に先生になった感じ
マイニャちゃん6歳がしきりにラオス語で何か言って来てるが、分からない。。。
私が持っていたノートにラオス語で書いてくれたが、おっちゃんはラオ語も読まれへんねん、ごめんな。。

子供達の親と話をしているとこのナイトバザールは、モン族がやっているそうで
周辺に住んでいるのはラオ族だそう
その時、ラオ族に対する表情はこれまでの、にこやかな表情とは全然違う険しい表情になっていた
どうやら少数民族に対する民族差別があるようだなっと思った
その後日本に帰って調べたらベトナム戦争当時、モン族はアメリカ側の傭兵として参加していたので、その後ソビエト側が勝利したために虐げられてきた歴史があったらしい
かなり辛い目にあってきたのだろう
晩ご飯をごちそうになったお礼に日本人の客引きをしながら閉店の9時があっという間に過ぎていった
翌朝のすでに7時45分に宿でピックアップしてもらってビエンチャン行きチャーターミニバンチケットをすでに購入していたので別れを告げる。
子供達は教えた日本語の「さよなら」を聞きながら宿に戻った
子供らしさは失わず、たくましく生きているモン族の子供達に心を洗われた一日だった
もしこれで急に日本に帰える事になっても、何も思い残す事なく帰れるなと思った
色々な旅の楽しみ方があるが自分には、言葉も通じない人を気持ちが通じ合える旅が一番楽しい
●ラオスツアーを探す●
● ラオスホテルを探す ●
● ラオス 航空券を探す ●
●ラオスオプションツアーを探す●
●ラオスで使えるグローバルWifiをレンタルする ●


コメント